息子を強盗と勘違いした小学校教師  15歳の息子を射殺 米国

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米コネティカット州の小学校教師が誤って15歳の息子を射殺した。地元警察が28日に明らかにした。息子を隣人の家を襲おうとした強盗と勘違いしたという。

事件は27日午前1時頃発生した。隣人の女性がジュリアーノさんに電話を掛け、彼女の家の前に強盗がいると告げた。女性はジュリアーノさんに、強盗は黒い服を着て、目出し帽をかぶり、光る物を持っていたと話したという。ジュリアーノさんは、その怪しい人物に出くわしたが、それが養子のタイラー君とは気付かず、その人物が「威嚇するような態度で向かってきたので」撃ってしまったという。


タイラー君はその場で死亡が確認された。ジュリアーノさんはまだ起訴はされていない。

地元の住民で政治家のジョン・ホッジ氏は「大変痛ましい事件だ。真相解明を望む」と述べ、「ここは住民同士の結び付きの強いコミュニティで、最近このような事件は記憶にない」と付け加えた。

(CNN.co.jp 9月29日)

また痛ましい事件が起きてしまいました。
どうしてこうもすぐに人を撃ってしまうのでしょうか。
やはり銃社会では常にお互いが銃に対する恐怖を持ち、疑心暗鬼、極限の緊張感から身を守ろうとするあまり、
わからなければ撃ってしまえという、突発的な行動に走らざる負えないのでしょう。

ついこの間の7月20日、コロラド州オーロラ市の映画館で、銃乱射事件が発生したばかりです。
連日のように起こる事件を受けて銃規制の問題が議論される気配は全くありません。
33名が犠牲となったバージニア工科大学での乱射事件(2007年)の時でさえ、精神病歴のある人間への銃器の販売管理に
関する議論が出たぐらいで、銃規制の議論等はまったく起きませんでした。

日本がもし銃社会で、一度でもこのような事件が起きたらそれこそ一発で、
銃規制がひかれるでしょう。

ここには日本人とアメリカ人の根本的な考え方の違いが浮き彫りになっているように思います。
日本人はもし事件が起きたら、みんなで銃の使用をやめて、安全な社会を築こうと考えます。
これは良く言えば協調性があり、悪く言えば依存的な考えかもしれません。

対して米国ではこのような事件が起こった時、かなりの人が、被害者が自分の身を守るために武装していなかったのが
まずかったと考えるようです。突然銃を乱射するような奴もそりゃいるだろう的な考えです。
そのようなとき、自分の身は自分で守るのが当然という自立心が強いようです。
それに他人が銃を持つこと禁止する権利はないという、自由に対しての考え方も影響していると思います。
やはり多民族国家で、いくらでも訳の分からない奴や、話の通じない人もたくさんいる中で育まれてきた
文化ですから、生き物としてのたくましさが考え方に出ています。

しかし私達日本人からすると、常に周りを疑い、緊張感の中で生きていくなんてとても辛そうに
感じてしまいます。まさに弱肉強食の世界ですね。人としてそのほうが健全なのかもしれませんが、
何か寂しさを感じてしまいます。
単一国家、島国日本に生まれた人間の単なる甘え、理想論にすぎないのでしょうか。
難しい問題です。

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